遠ざかる昭和の野球場・倉敷市営球場
会館でクチヨロズ先生と話していてなぜか、マスカットスタジアムではない倉敷市営球場の話題になったため、
「あの球場だって80年代は日米野球をやってたんですよ!」
と豆知識を披露したところ、思わぬところから
「ええええ~~~???」
という声が。その場に居合わせた某女性弁護士が、まさに
( д) ゚ ゚
という表情で驚いていました。
「私、倉敷市民なんです」
とあわてて言い訳をした女性弁護士ですが、あの表情は見ものでした。倉敷市役所1階に普通に記念バットが飾っていますよ。
https://2689web.com/nb/1981/nb13.html
なんなんですか、「阪神巨人連合軍VSカンザスシティ・ロイヤルズ」って!MLBの単独チームが各地で17試合を転戦するというシステム自体、選手会が力を持った現代ではありえなくなってしまいました。5番セカンド岡田、6番サード原を抑えて4番ファースト中畑・・・という部分もビクーリしますが、打順はともかく、このメンバーが倉敷にやってきたなら、そりゃあ、あの球場にでも15700人くらい集まることでしょうよ。。。どう詰め込んだかは知りませんが…。それにしても、なぜ岡山県では倉敷で開催することになったのでしょうか。絶対に公称定員26800人、マスカットスタジアム完成前の当時の岡山県では最大の野球場(津山市営球場)で開催するべきだったのに!
昭和を振り返ると、そこには深遠な歴史があるものです。