悪魔の手毬唄「鬼首村」はどこにある?(1)

久しぶりに美作市へ行ったついでに、私がこれまで当然に美作市が舞台と認識していた作品で、金田一耕助の「岡山もの」の中でもトップクラスの名作である「悪魔の手毬唄」を読み直し、事件の舞台となった「鬼首村」が本当に美作市にあるのかどうかについて、もう一度検証してみました。

「鬼首村」の所在地は、原作の序盤に言及されていて、

・「兵庫県と岡山県の県境にあたっており」

・「瀬戸内海の海岸線からわずか七里足らずの距離」

と記述されています。

兵庫県と接している岡山県内の市町村は、現在の区分で備前市、美作市、西粟倉村の2市1村で、この2市1村が事件発生の昭和30年7月時点でどのような区分化を調べてみると、

備前市・・・備前町、三石町、日生町、吉永町

美作市・・・勝田町、美作町、大原町、作東町、英田町、東粟倉村、公文村

西粟倉村・・・西粟倉村

であり、このうち兵庫県と接していたのは

三石町、日生町、吉永町、作東町、大原町、東粟倉村、西粟倉村

だけです。そして、1里は約4kmなので、鬼首村は海岸線から約28kmということになります。

イメージ的にはぴったりな大原町、東粟倉村、西粟倉村は、遠すぎて該当しません。逆に海岸線そのもので近すぎる港町の日生町は消せ、三石町も北限付近の施設と真南の海岸線の直線距離は15km前後で、実距離としても近すぎるようです。

この点、作東町は、真南の海岸線との直線距離がちょうどよい程度に収まり、兵庫県と大小多くの道路でつながってもいます。私が「鬼首村=美作市」と認識していた所以です。

ただ、この距離を「直線距離」ではなく「実距離」ととった場合、吉永町の北部(八塔寺ふるさと村あたり)も海岸線から「七里」程度に収まってくる可能性があります。もっとも、旧吉永町北部の場合、旧作東町とは異なり、兵庫県とつながる道路は多くなく、「岡山県道・兵庫県道368号吉永下徳久線」か「兵庫県道/岡山県道90号線赤穂佐伯線」くらいしかありませんが、これらの道から岡山県に入って行き当たる集落は、海岸線からの実距離が28km前後に収まるようです。

・・・ということは、「鬼首村」は、美作市内の作東町だけではなく、備前市内となる吉永町北部でも該当しうるのか・・・?この瞬間、私の中の通説が大きく揺らいだのですが、この疑問と混乱は、小説を再読していくにつれてさらに深まっていくのでした。。。