三星城~三郎左衛門の夢の跡~

なぜか美作警察署勾留の国選を担当している笑六法ですが、美作警察署に行く際には、私の難波家の祖地とされる赤磐市由津里、江戸中期に当家が再興した際に取り立てられたらしい片桐池田家の茶臼山城、そして再興の前提として戦国末期に没落する前にご先祖様が最後の輝きを見せた三星城跡を通るため、実に戦国脳が刺激されます。

私の14代前?の難波三郎左衛門公は、後藤勝基の本拠地である三星城が宇喜多直家に攻められた際、後藤に味方して三星城に来援したものの、敵を追って打って出た後、追撃に夢中になって遠出してしまい、振り返ると城から煙が上がったため、

「これはやばい!?」

とあわてて逃亡したという頭張飛な武将だったりします。そもそも宇喜多直家が備前から三星城を攻撃できるということは、由津里あたりは当然もう宇喜多の勢力圏となっていたはずなのに、そこからわざわざ宇喜多の攻め手ではなく後藤の守り手として三星城に向かった時点で、かなり危険を伴う出陣だったはずです。まして三星城から逃走した後に至っては、それこそ落ち武者狩りに遭っても文句は言えない状態で、由津里までよく生還できたと言わざるを得ません。よほど宇喜多が嫌いだったのでしょうが、ご先祖様と私のキャラが違いすぎるような気がするのは、果たして気のせいでしょうか。