力なきことは罪
今夜は参院選の開票双方をエンジョイ中です。自公が3年前の大幅な「貯金」を使い果たしての過半数割れは確実な一方、野党第一党の立民も前回と同数にとどまり、「第三極」の国民、参政が大幅に伸びたことで、今後の政権運営はますます困難、複雑怪奇になっていくことでしょう。
とはいえ、野党が首班指名でまとまるとも思えないため、あとは石破首相が辞任していつもの通り表紙をかけ替えるのか、それとも後任が誰もいない中で地獄のような首相継続を図るのかという問題となってくるわけですが、
・傍流からの首相就任のため、求心力が弱く、政策は何も実行できない
・党内調整や野党との折衝などができる幹事長をつなぎとめるために、自分自身の発言が綸言汗のごとしとなる。
・しかし、その幹事長やら身内のやらかしもあって、結局何もできないうちに、就任前から累積的に腐敗していた政権の問題点がさらに噴出し、しかも異民族の侵略トランプ関税なども勃発し、内憂外患を統制できなくなっていく
という石破首相の姿を見ていると、なんだか中華王朝の末期の皇帝のような哀愁を感じてしまいます。
責任ある地位のおそろしいところは、「力なきこと」が罪となってしまうことです。中華の歴代皇帝も、一般的なイメージでは漢の武帝や唐の太宗、明の永楽帝、清の康熙帝といった絶対君主でしょうが、人数でいえば、能力に追いつかない立場となったがゆえに悲惨な目に遭ってしまう人の方がずっと多いのです。
金髪美少女が
「それ(選定の剣)を手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」
と言われるのも、まさにそういうことなのです。やはり、こうした地位は他人に任せ、自分は高みから見物して好き勝手言うべきだと痛感させられた一日でした。