日本●術会議に対する根本的疑念

某会が日本●術会議法案に反対する声明とやらを出していたのですが、私自身は、この会議に対する声明文の基本認識、すなわち「時の政治権力から独立した立場で、政府に対し、科学的根拠に基づく政策提言を行うナショナル・アカデミーとしての学術会議」という部分に対して、根本的な疑念を持っていたりします。

というのも、私が「日本●術会議」なるものに初めて触れたのは日本文学史に残る傑作小説「白い巨塔」の続編「続 白い巨塔」(完成後は実質一体として扱われる傾向大)。「白い巨塔」で熾烈な教授選を勝ち抜いた浪速大学医学部の天才外科医(岡山県出身!)財前五郎が、「続 白い巨塔」でさらなる野望の階段として立候補したのが、この日本●術会議だったりします。・・・どろどろりんやん!実際、小説執筆当時は「公職選挙法の適用がない選挙」の典型例で、あまりにひどい実態ゆえに選挙制自体が廃止されたようです。そんな団体がそう簡単にもっともらしいものに生まれ変わるわけがない!(偏見)・・・っていうか、「選挙制を廃止して推薦制にしたからまともな団体に生まれ変わりました!」なんて主張するとしたら、それはそれで非常によろしくないような。。。

ところで、今では「続 白い巨塔」も含めて「白い巨塔」と扱われる「白い巨塔」(ああややこしい)ですが、もともと作者に「続 白い巨塔」を書く予定はなかった…というのは割と有名な話です。つまり、「白い巨塔」は、財前五郎が教授戦勝利、医療裁判勝訴で完全勝利、里見先生は左遷、学会から事実上追放されて完結するはずだったのです。これを最初に読んだ際、私は「悪が栄え、正義が敗北する」という展開に強烈にショックを受けたのですが、それと同時に

「これが大人の社会なのか・・・!」

と強い感銘を受けました。自身が正しいだけでは勝利しえず、勝利を得るためには強くあらねばならない・・・というのが世の真理だと学んだのです。ところが、その後、続編があることを知って読んでみたところ、財前逆転負け、「正義はやっぱり勝つ」エンド。作者が予定していなかった「続 白い巨塔」を書くことになったのは、読者の反響と要望があまりに大きかったからということですが、個人的には、ありふれた展開になったことに、正直、がっかりしました。正義が勝つためにこそ、不断の努力が必要。・・・「続」を含まない「白い巨塔」から、そんな不都合な真実を学んだ私は、たぶんかなりの変種なのでしょう。