神よ、彼を救い給え

下等生物(ネコ)好きな某先生が

「逮捕勾留された県外居住の被疑者から、飼いネコの世話を頼まれた・・・」

とぼやいていました。

「下等生物(ネコ)を愛する先生ならば、もちろんその願いを受け入れて毎日県外の被疑者方に通うのでしょうな?」

と迫ってみたのですが、

「まさか!被疑者の家族にお世話をお願いしたら、OKしてもらえました」

とのこと。うーん、さすがにベテラン。ちゃんと対応の選択肢を持っておられる。

しかし、このやり取りでピコーンと来た私は、事務所に来ている修習生君に

「国選に選任されて行ってみたところ、勾留された県外居住の被疑者から、飼いネコの世話を頼まれたらどうしますか?」

と聞いてみました。

「……断ります」

「ふーん、10日間エサもないままほっとかれたら、生まれてきたこと自体に目をつぶれば悪いことをしたわけでもない可愛いネコちゃん(棒読み)、死んじゃうね…被疑者も絶望して信頼関係が構築できないかもしれない…」

「・・・!?じゃあ・・・保護団体に連絡します」

「そうか、県外の保護団体を調べて引き渡しのために現地に行くのか。国選で交通費もたぶん出ないけど、感心な心がけですな。被疑者もネコちゃんも本望だよ!保護団体もすんなり受けてくれるとは限らないけれど、受けてくれるといいね!」

そうすると、彼は目に見えて苦しみ始めました。「被疑者の家族の連絡先を聞いてお世話のお願いをする」という選択肢を持たない修習生に気づきを提供し、類似の問題に直面した際に究極の選択を避ける選択肢の大切さを示す・・という質問の本旨は十二分に達成できたのですが…それにしても彼の挙動が不審すぎる。

「きみ、もしかしてネコ好きか?」

「・・・はい」

ここは

「見捨てます。人に仇なす害獣なんて知ったことではありません。可愛い柴犬ならともかく」

と正解を即答されたら勉強にならないと心配していたのですが、思いのほかヒットしてしまったようです。

国選弁護人として同様の問題に直面した際、問題に直面しない選択肢の大切さ(それでも天涯孤独とか親族知人にことごとく見捨てられているとかで回避することができない場合があることはさて措き)は示せたのですが、下等動物を見捨てることに対してそこまで苦しむ彼の魂の奪われっぷりの方が心配になってきました。神は、邪悪に囚われた彼の魂をこそ救うべきではないでしょうか。