短命家系の理由

「逃げ上手の若君」で、北条得宗家の短命家系っぷりがフォーカスされていました。北条得宗家歴代当主の享年は、「逃げ若」によれば④時氏28、⑤経時23、⑥時頼37、⑦時宗34、⑧貞時41、⑨高時31で、鎌倉幕府滅亡時に自害した⑨はともかく、④~⑧の平均享年32.6歳は、異常な短命家系に見えます。当家の10代目予定(なお、数え方は私が決めている模様)ながら、9人の歴代当主のうち7人までも60歳以下で死去している悲運の男系一家に属する私としては、興味深いテーマです。

ただ、得宗家の男たちが短命だったことの背景には、もうひとつ重大な他の理由があったような気がしなくもなかったり。代々重なった近親結婚による、血統の袋小路問題です。

血統のどん詰まりが一番煮詰まった北条貞時(高時は安達家出身ながら側室が母であるため、血統に不明な点が多い)の血統構成は、こんなになっています。

父の父の父 北条時頼

父の父の母 松下禅尼(安達景盛の娘)

父の母の父 北条重時(北条義時の息子)

父の母の母 平基親娘(桓武平氏)

母の父の父 安達景盛

母の父の母 武藤頼佐娘(藤原北家)

母の母の父 北条時房娘

母の母の母 不明

ヒト(というより有性生殖の生物一般)の曽祖父母は、通常8つの血統が混じりあうもの・・・というのが現代日本人の認識だと思いますが、本流になればなるほど北条家内ないし安達家との婚姻関係を保つことを重視していた北条得宗家の北条貞時をみると、不明である母の母の母以外の7本の血統のうち、実に3本が北条本家、2本が安達家に遡る近親血統となっています。エジプト王家やスペイン流ハプスブルグ家を滅ぼした王家の病です。そう考えれば、泰時以前の寿命は何の問題もなかったこととの差異も容易に説明がつきます(泰時以前はそもそもそうした近親結婚の伝統がない。・・・泰時の子で、血統の袋小路がさほど進んでいない世代の時氏まで早世したことは、純粋な不運か)。競馬でアダチカゲモリの3×4×4(父の父の父である時頼にも安達の血統が入ている)、ホウジョウトキマサの4×5×6という多重インブリードといえば、分かる人には分かるはず。(<分かってはいけない。こうしてみると、3×4って危険だね)

北条氏以外、そして北条氏以上に短命がひどい一家として後漢の劉氏、北魏の拓跋氏とかもあり、それらはそれらで研究が必要ですが、とりあえず北条氏歴代当主の短命には、私に当てはまらない、近親結婚の重なりという理由があります。だから、私もあと10年前後しか生きられない・・・わけでは必ずしもないはずです。きっと。たぶん。