王莽の最期

歴史についてはオタク的関心と知識を持つと自負し、かつその中でも中華史については相当うるさい私ですが、突然「王莽」については、その圧倒的な知名度にもかかわらず、どんな最期を遂げたのか記憶していないことに気づき、衝撃を受けました。

王莽といえば、劉邦が打ち立てた前漢をいったん乗っ取り、滅ぼして「新」なる国家を樹立した人物で、当然大多数の世界史の教科書にも名前が出てくるはずです。私自身、「王莽」といえば「前漢を滅ぼして『新』を建国したものの、周の政治を理想として現実離れした政策を強行して失政を繰り返した結果、短期間で滅亡した簒奪者」という程度のプロフィールがスラスラ出てくるのですが、オタクのオタクたるゆえんである、「では、王莽はどのような最期を遂げたのか」という問いに対しては、無残なまでに何も出てこなかったのです。痛恨。

というわけで、王莽について調べてみたのですが…うん、これは滅びる!

王莽 - Wikipedia

逆になぜこんな奴が政権を取れたのかが不思議になってくるのですが、そういう人物でも時勢を得れば天下まで駆け上ってしまうのが中華史の奥深さです。そんな一代の英雄?は、約43万の軍勢を派遣して約1万の劉秀と戦わせたものの敗れ(昆陽の戦い)て求心力を失い、やがて長安が更始帝に攻められて陥落した際、商人に殺されていました。期待通りの最期でした。。。