本陣殺人事件と難波一族
最近珍しい姓を発見すると、インターネットの「名字ランキング」で検索してみるという妙な習慣がついた私ですが、最近になって突然危機に陥っていた某キー局の相談役にして最高権力者の名字が全国で約60人しかいないこと、そしてその姓の中心的分布地は倉敷市真備町の川辺地域で、江戸時代のこの地域に存在した脇本陣の経営者がその姓だったことにたどりつきました。
そこまでで終われば本当にどうでもいい話なのですが、発見した記載の中で、川辺本陣を経営していた一族の姓も一緒に記載していたのですが、その一族は「難波」だったようです。ただ、その「難波」は、「真備町史」によれば、川辺本陣が水害で消失した後、歴史から姿を消してしまったとのこと。おお・・・orz
私のご先祖様で唯一歴史に名を残したのは、赤松政則の側近として応仁の乱前後に活躍した「難波行豊」で、うちの系譜は、その後いつの間にか赤松から浦上へ乗り替えたものの、秀吉の手下となって備前を制圧しつつあった宇喜多に駆逐されて一度地に身を潜める羽目になりました。しかし、うちとは別系統の行豊公の子孫も存在し、その中でも最強の知名度を誇るのが、毛利について備中高松城で秀吉と戦い、最期は城兵の助命と引き替えに見事切腹を遂げ、「切腹=武士のみの名誉ある死」という評価を確立させた清水宗治・・・だそうな。wikipediaでも、清水宗治の弟は難波姓となっています(そして、その子孫から「虎ノ門事件」の大逆犯・難波大助を出しています)。
備中高松城の戦いの戦後処理で、高梁川以西は毛利領となったようなので、毛利について和議とともに引き揚げた清水宗治の一族が、その後川辺に残って有力者となり、本陣を経営するようになったのではないか・・・と妄想してみると、うらやましくなってきます。同じ「難波」一族なのに、ひどい差別だと言わざるを得ません。
しかも、「川辺本陣=難波一族」といえば、私の中ではもう一つの趣味と直結せざるを得ないお話になります。横溝正史の小説で、名探偵金田一耕助のデビュー作である「本陣殺人事件」は、事件の舞台こそ真備町岡田ですが、「近所の本陣から移り住んできた一族」を舞台としたどろどろりんな殺人事件なのです。当時、封建制の価値観を色濃く残す名門のアイコンとして設定された「本陣」の主なんてそうそういるはずもありません。そんな本陣の主が移住を迫られることはそうそうないはずですが、水害で壊滅すればありえます。そして、それが「川辺」の隣町と言ってよい「岡田」となると・・・?
小説内での一族は「一柳」ですが、いくら横溝先生の時代でも、ここで実名をそのまま使うなんてことはないでしょう。・・・つまり、「一柳家=川辺難波家≒私の同族における殺人事件」ということになるのです!これは㌧でもない事実が明らかになった!そういえば、彼らも黒猫に祟られていたような?ますます間違いない!
…実際には、横溝先生が「本陣殺人事件」のモデルとして想定していたのは、横溝先生の疎開宅付近に引っ越してきた、難波一族ならざる「K一族」で、横溝先生はK一族が本陣の経営者と勘違いしていた…という横溝夫人の証言があるようです。ただ、小説内での一柳一族が「本陣の元経営者」と明示されている以上、一柳一族のイメージも、横溝先生の脳内にあったものの実は本陣の元経営者ではなかったK一族ではなく、「本陣の元経営者」川辺難波一族に再構成される必要があります。要は、一柳家の真のモデルは川辺難波家であり、私の遠い親戚かもしれない一族なのです。
これまで「獄門島」「悪魔が来りて笛を吹く」「八つ墓村」「犬神家の一族」を映像化してきたNHK版金田一の次回作の有力候補として、「本陣殺人事件」もあげられています。これまで「本陣殺人事件」の原作については、トリックの再現性の怪しさからあまり高くなかった私ですが、NHKの次回作での映像化が実現した暁には、これまでにない熱い思いで視聴できそうな気がします。