悪魔の手毬唄「鬼首村」はどこにある?(2)

鬼首村の描写としてブドウ栽培が盛んだという部分は作東町、吉永町北部のどちらでも通用します。山に囲まれ、岡山よりも兵庫とのつながりが深いという部分は、各地域の実態が分からないため、とりあえず棚上げ。

・・・私が袋小路に陥ったのは、第1章の終わりの方で、放蕩庄屋が失踪したという知らせが駆け巡った際の描写でした。

「この事件の捜査主任は立花警部補といって、鬼首村から十里ほどはなれた江見という町の警察からやって来た。係官たちはもちろん自動車だろうけど、ふつうのひとが江見から鬼首村へやってくるには。姫津線、すなわち姫路から津山へ通ずる支線にのって、いったん姫路へ出、そこからバスで総社へおもむき、そこから仙人峠をこえねばならない。

そんなことをしなくとも、総社の町にも警察があるのだけれど、あいにく総社は兵庫県に属している。(以下略)」

・・・鬼首村から10里先の江見から警察官がやって来た???

「江見」といえば、昭和28年に合併によって作東町となった旧江見町、旧土居町、旧福山村、旧粟井村、旧吉野村の中のひとつで、姫新線に今も「美作江見駅」や美作警察署所属の「江見駐在所」を持つ「旧江見町」の中心地域です。作東町の中心地域のひとつであり、周辺地域の変事にここの駐在さんが出動するのは至極まっとうです。むしろ、江見の駐在が鬼首村の事件に対応して出動したのであれば、鬼首村が備前警察署管内である吉永町北部にあるという線が消え、作東町が確定する・・・はずなのですが。。。

「鬼首村から十里ほど離れている、だと・・・???」

上記の通り、1里=約4kmなので、10里=約40kmです。鬼首村は、物語上「兵庫県都の県境付近にある」という点が大きな意味を持つため、江見からみて兵庫側にあってほしいのですが、江見から東の県境に行くと、直線距離で2km、実距離でも5km程度で兵庫県に入ってしまいます。そもそも江見から約40kmという時点で、直線距離の場合はもちろん、実距離だとしても、作東町・・・というよりも現美作市の範囲内にすら収まりません。岡山県内の「総社」市からならばそれくらいになりそうですが、総社が兵庫県であることは明文で示されています(さらに、調べてみたところ、姫路市にも「総社」という地名はあるようです)。

いくら戦後間もない時代における「周囲から隔絶された寒村」という舞台設定とはいえ、最寄りの中心地域からの移動が、佐用や上月ですらなく姫路経由になるという部分は、あまりに無理ゲーな気がします。ここは無視するしかないにしても、「10里=40km」という距離は???

ここを合理的に説明するために、

①江見の場所についてのみ中国における「里」の単位である

②江見の場所についてのみ朝鮮における「里」の単位である

②江見の場所についてのみ「里」は「km」の誤記である

といった説を考えました。実は、「里」という距離の単位は、日本、中国、朝鮮においてすべて共通であるにもかかわらず、それが示す距離は異なっていて、日本では約4kmの「1里」は、中国では約500m、朝鮮では約400mとなります。これらの説によれば、江見と鬼首村の距離は、①5km、②4km、③10kmとなり、物理的には可能な範囲に収まります。こんなことを考えながら、邪馬台国所在論争を連想してしまいました。邪馬台国の場所をめぐる魏志倭人伝の表記をそのまま採用すると、邪馬台国は日本よりはるか先の太平洋上、謎の海中帝国か、現在までに海中に没した幻の島になってしまうという矛盾に直面した偉い先生方が、その単位を自由自在に読み替えて自身の学説を展開してるアレです。

私は、それに対して

「そんな都合のいい読み替え、あるわけないだろwwww」

とバカにしていたのですが、間違っていました。唯一無二の聖典が存在するにもかかわらず、その聖典に基づくと破たんするという事象に直面した者が、聖典の単位を勝手に読み替えてつじつまをあわせたくなるのは、至極自然な真理なのです。

「・・・だったら最初の鬼首村の海岸線からの距離も統一的に解釈するべきじゃね?」

と言われたらその通りですが、その場合、鬼首村の所在地は備前警察署管内となり、メインの警察官が江見から来るはずがないため、ここは強引に目をつぶります。「悪魔の手毬唄」の発表時期は金田一ものの中でも割と遅めですが、特定のモデルを特定されないように横溝先生が悪知恵をつけてフェイクを入れるようになったなんて、あってはなりません。鬼首村は、兵庫県境に近い作東町内にあり、かつ江見から4~10kmくらい離れたところにある集落なのです。