令和南北朝
参院選が迫り、また衆院選も前回総選挙から一定の時間が経過したことで、各地での各政党の候補者選定が進んでいるようですが、最近は
「A党で公認をもらえなかったからB党から出馬します」
というパターンが目立つ気がします。
55年体制下では、
「保守(革新)陣営から後任をもらえなかったから革新(保守)陣営から出馬します」
ということは滅多になかった(長野士郎岡山県知事は革新陣営で当選しながら再選時に保守陣営に乗り換えるという離れ業をやっていますが…)ものの、近年の政党乱立により、主張が近い政党が増えていることによる現象だとは思いますが、
「それにしても節操なさすぎじゃないか、こいつら…」
とも思っていました。ただ、これは日本史におけるある時代の有力者動向を見た時の感想と全く同じであることに気づきました。
南北朝時代。それは、京の北朝と吉野の南朝が分立し、それぞれを擁する武家・公家等が抗争を繰り広げた時代ですが、この時期も
「北朝(南朝)に冷たくされたから南朝(北朝)につきます」
が日常的に…とまで言えるかどうかはともかく、多くの勢力が実践していました。それどころか、北朝の最大の支援勢力である足利将軍家でさえ、初代将軍・足利尊氏の弟である足利直義が尊氏を擁する執事・高師直を討伐するために南朝に降伏したり(←某ジャンプ漫画は今ココ!)、直義を抑えるために今度は尊氏自身が南朝に降伏して北朝を売り渡すに等しい和約を結んだり、ともう訳が分かりません。。。
これに比べれば、公認がもらえないから別政党に降伏…もとい、鞍替えして立候補する程度のことは、可愛いものなのかもしれません。…総帥の降伏といえば、「自民立憲大連立」「玉〇首相擁立構想」なんて噂も週刊誌で読んだような気がしなくもありませんが、今も永田町は南北朝なのでしょう。