「邪馬台国吉備説」の真実
会報を読んでいたら、私が適当に唱えていた「邪馬台国吉備説」をもう何年も前に提唱していた大長老が存在していたことを知り、愕然としました。しかも、「畿内と九州がエンドレスで争っていてもしょうがないから間を取ってやる」という私の説?と違い、「賀陽」=「(朝鮮半島の日本府)伽耶」という地名の共通項から古い時代の交流の痕跡を見出すという、一見するともっともらしいやつです。魏志倭人伝=邪馬台国の時代と、朝鮮半島の「伽耶」が初出の時代の間には約200年のタイムラグがあるとか、細かいことを気にしてはいけません。大切なのは、「邪馬台国吉備説」という、一見すると突拍子もない珍説に、複数の人物が、全く異なるアプローチからたどり着いたという事実です。偶然の一致にしてはあまりにも都合が良すぎるこの事実は、「邪馬台国吉備説」が空想ではなく論理的帰結に基づく結論にふさわしいことを物語っているのです。