「元カノ」なる概念
中弁連の後の某会で、隣に座った若い奴が「元カノが…」などというネタで調子に乗っていました。そういえば、私の人生において「元カノ」なるものは、ただの1人も存在しない…と思うと、切ないものがあります。
私がひっそりと世を恨んでいるうちに、その場の話は切り替わり、今年の中弁連には出席されていなかった純愛同盟大将の人格を称えるエピソードがなぜか複数挙げられていました。その場にいないのにイイ話が出る人は、本当にいい人が多い気がします。そんな彼が純愛同盟の中でも「大将」とされているのは、中学生とか高校生とかですらなく、本当の幼馴染とそのまま結婚したかららしいです。そうすると、彼もその人生の中で「元カノ」なるものが存在しない…はずです。
「元カノ」を大量生産するような輩は、例外なく、ろくな奴ではありません。その意味で、私と純愛同盟大将は、いずれもそうした罪、業とは無縁な存在です。それなのに、この印象の違いは何なのでしょうか。納得がいきません。
